BOOWYといえば、解散から30年経った今もファンを魅了し「伝説的のバンド」「もうあんなバンドは生まれないだろう」とまで語られ、2019年に入った現在も尚「LAST GIGS -THE ORIGINAL-」といったボックス・セットが発売され高いセールスを記録する程の日本のロックバンドです。
1980年にボーカル・氷室京介、ギター・布袋寅泰、ベース・松井恒松、サックス・深沢和明、ギター・諸星アツシ、ドラム・木村マモルで結成サポートメンバーとして加入し、同年オーディションによってドラマー・高橋まことが加入するが「暴威」として結成されます。
その後1982年1月28日 バンド名を「BOOWYボウイ」に改名し、同年の1982年10月9日に行われた新宿LOFTでのライブを最後に深沢と諸星が脱退するも、数々のヒット曲を生み出し、絶頂のさなかと思われていた1987年に解散を宣言。
そして1988年4月4日・5日 東京ドームにて「LAST GIGS」を最後にBOOWYは解散します。
その突然の解散について、現在も様々な憶測が噂されていますが、現在に至っても正式な「解散の理由」は明らかにはされていなく、様々な諸説が流れていますが、その真相は明らかにされていません。
そんな「BOOWY解散の理由」について触れてみたいと思います。

ボーカル・氷室京介の証言

氷室京介はBOOWY解散の理由について「BOOWYの4人で出来る事を、全て現実してやりきったというのが結論なので、もう辞めるしかない。辞めないで、そのまま3年、4年と続けるのは厳しい。」と答えています。
「氷室と布袋の不仲が解散の原因」という説がありますが、氷室京介は解散後のインタビューにて、「雑誌ではライバルという書かれ方をしていたけど、俺は布袋の事を1度もライバルと思った事はない。それがソロとバンドの違いだと思う。バンドの中でメンバーをライバルだと思っていたら、バンドの良さって絶対出ないと思う。俺は布袋を最高のギタリストだと思っていた」と言っており、また布袋寅泰も「僕はヒムロックのこと好きだし、自分が嫌いな人の横でギターを弾けるわけがない。第一BOOWYは僕とヒムロックだけのバンドじゃない。まっちゃんやまこっちゃんのビートがあってのバンドだった訳だから。そんな理由じゃ解散できない」と解散後ラジオ番組でいっています。

また、氷室京介は解散後、氷室京介の初のライブ・ビデオになる「KING OF ROCK SHOW of 88’S-89’S TURNING PROCESS」のインタビューにて「楽しくて始めたはずのバンドが、ロックビジネスというシステムの中に組み込まれて、少しずつ自分達の考えと違う方向に、勢いがついて転がっていってしまった。あと妙な義務感みたいなものがすごく大きくなって、苦しくなってきた。だから全盛と言われる中で解散したのは決して後悔すべきことじゃなくて正解だったと思うし、それだけ自分たちが音楽を正直にやっていく上でBOOWY解散はなくてはならない事だったと思う」と語っていました。

ベース・松井常松の証言

松井常松はBOOWY解散の理由について「本当にすべてが上手くいっていたら解散なんてしない」と言った上で「確かに口火を切ったのは布袋だけど、それ以前にも解散の危機は何度もあった。友達としていつも一緒にいたいけど、でもそれと音楽は別にしなきゃっていう分かれ道だったのかもしれない」と語っています。

ギター・布袋寅泰の証言

氷室との不仲説が囁かれたギター・布袋寅泰はBOOWY解散理由について「決してひとつの理由などではない。もしいま4人が集まり解散の理由を話したとしたら、きっと全員見事にバラバラなのではないかと思う。BOOWYはBOOWYのもの。4人のもの。俺にはこんな理由がある、などと4分の1の存在が軽々しく語ってはならないと思う。俺には俺の”絶対に解散せねばならない理由”があったが、それは墓まで持っていく」著書『秘密』で書いています。

ドラム・高橋まことの証言

高橋まことはBOOWY解散について「ファンとの温度差みたいなものが出てきていた。こっちは新しい曲を作って演奏しているのに「IMAGE DOWN」や「NO.NEW YORK」を演らないと納得しないようなノリがあったり、布袋がギターソロを弾いているのに氷室ばかり見ているお客さん、氷室が一生懸命歌っているのにまったく違った受け止め方をするお客さんなんかもいたりして、自分たちの音楽が本当に理解されているんだろうかっていうジレンマが生まれてきた」とインタビューで答えています。
しかし、その後の 2007年に高橋が書いた自叙伝「スネア」では高橋まことは「BOOWY解散の真相」について信憑性が高いのでは?と思われる文面をかいています。
まず「氷室との不仲説」がある布袋寅泰は1985年12月24日に山下久美子との結婚を発表し、1986年1月に結婚しました。

そして結婚後、布袋寅泰は、妻である山下久美子のバックバンドとしての活動も平行して行っています。
その山下久美子のバックバンドにはベースの松井恒松さも参加し、さらにドラムの高橋まことも誘われたのすが、ボーカルの氷室京介にはアプローチがなく、それは結果的にボーカルの氷室京介以外のメンバー全員がバックバンドとして参加する事となります。

その状況に対して「まずい・・・」と思った高橋まことが、その事を氷室京介に告げますが、その話しを聞かされた氷室京介は「来月解散しよう」
と言ったのが、解散理由です。
という内容を書いています。

まとめ

ですが現在も尚、様々な解散の原因に関する諸説があるものの、その真相は今となっては、「はっきりしにくいモノ」なのかも知れません。
しかし、BOOWYが解散して30年が経過した現在も尚、私たちに与えるその衝撃は大きく、BOOWYというバンドは私たちを魅了している理由のひとつとしては「絶頂期とも思われた時の突然の解散」は当時も今もファンには衝撃を与えている明らかな事実と言えるのではないでしょうか。